昔、目の前で「喋んなよ」と言われた。
目の前…僕は気づいているけど、相手は気づいてない
つまりバッドタイミングな時に居合わせてしまった。
僕が作った作品を見て、
「こいつ大人しいよな、全然喋んないよな」
「だったら、一生喋んなよって感じだよな」
とな具合に陰口を聞いてしまった。当然、周りには人がたくさんいて、恥をかかされた。
周りの友達は「大丈夫?」って僕のこと心配してくれたけど、”関わりたくない”って目が言っていた。
始めは大勢の前で恥をかかされた事や、陰口の内容とか純粋に憤りを感じた。
何でお前らに「喋るな」と指図されなきゃいけないんだ?
何でお前らなんかに人の価値を判断されなきゃいけないんだ?
むかついて、むかついて、仕方なかった。
そもそも、勝手に人を判断して、人を遠巻きにしているのはそっちなのに
喋ったことも関わったこともないのに何でそんなこと言われなきゃいけないんだよ
僕はただ生きてるだけなのに
その内、友達もむかついてきて、かけてくれた同情の言葉にも嫌な態度で返してしまった
どうせ自分の事じゃないからどうでもいいんだろ、内心お前も同じこと思ってるんだろ
自分より不幸な奴慰めんの楽しいよな?って思った。
僕は当時まだまだ未熟で(今もだけど)いちいちキレていた。
こんな、当たり前のことで。
人間が自分の事を第一に考えるのは当然。
人間が他人を比べて優越を感じているのも当然。
僕は他人に無理難題を求めていたのだ。そうあったらいいな、って人間に理想を押し付けてた。
そんな綺麗な人間はいないのに。
それに気づいたのはもう少し先のこと。
ああ、そうかって納得して同時に人間に興味をなくした。
夏になった。
まだ、温度的にはさほど暑くはないけれどその内温暖化の底意地を見せてくるだろう。
夏は嫌いだ。
理由、一 人間達ががやがや騒ぐようになるから
理由、二 リストカットだらけの腕を出さなくてはいけないようになるから
理由、三 息苦しさを倍に感じるようになるから
だから嫌いだ。一生冬でもいいくらいだと思っている。
別に僕としては腕跡を他人に見られるのも構わずに半袖を着たって構わないのだけれど、
それは僕の問題であって、他人からの目から見たら大半が「不愉快」になるだろう。
他人の目など気にしたって仕方ないのは重々理解しているが、
僕のリストカットには自己顕示は含まれないから、他人に見せ付けたって利益はないわけで
そうすると「隠す」に越した事はない、という結論に至る。至極簡単な答えだ。
僕の左腕には20本以上の傷跡がある。
幸いケロイドにはならず、薄っすらと白く線が走っているような状態だけれど
見るからに「リスカしました」という傷。何回も傷口傷つけたから治らない。
リスカの傷ってなかなか消えませんよね。
もう、一年くらいリスカはしてない。
自分の中で結構立ち直ったつもりなんだけれど、傷はそんなの無理だよ、て言ってるみたいで
腕はちっとも綺麗になってくれない。
ま、自業自得なんですけど。
でも、そんな後のこと考える余裕なんてなくて、未来とかどうでもいいし、
自分なんて考える価値もないって思ってたから。
だから、何回も繰り返し切った。
無価値で無意義な自分に、「腕を切る」という価値と意義を植え付けた。
赤い血が流れて、精神が落ち着いて、視覚的にも楽しめる。
これで、僕は僕にとって価値が存在する。
そう考えないと耐えられなかった。
それに腕を切れば切るほど、大嫌いな人間から遠ざかっていく気がして、
人間じゃなくなるための儀式でもあった。
僕はもう戻れないほど、あの大嫌いな健常者ではないのだ、と。
その内、リスカの意味がなくなった。
腕を切って、切って、切ったって、僕はどうしようもないほど人間という奴で
どうしようもなく駄目な人間に変わりはなかった。
ちょうど視覚的にも飽きて、耳鳴りとか、過呼吸の発作が少しよくなってきたから
そろそろ潮時にしようと思った。
リスカは役に立たないものに成り果てた。
その他の理由に意識的に切ってたリスカが、知らない間に腕が切れてるなんて事があったり
無意識下での行為になろうとしてたから、これはさすがにやばいと思ったからもある。
この思考をするあたりでどうしようもなく僕は人間です。
リストカッターは自分に甘いとか、精神的に弱いとか言われるけれど
否定はしません。
でも、自分でそう認識するのは分かるが、他人にそう指摘されると少し腹が立つ。
別に同情など欲しくはないが、そう評価する権利はないだろう誰にも。
表面的の繋がりしか求めない人間なんかが他者のメンタルス的な面にこういう時にだけ首を突っ込むのは
おかしい。最初から無関心ならば最後まで突き通せという話。
どうせ、好奇心の応酬なのだろう。本当に人間はくだらない。
手首を切っちゃいけないのは誰にだってわかること。
だけど、どうしようもない程他に選ぶ道がなくて、リスカだけが受け止めてくれる。
だから、切ったことで判断しないで欲しい。切ったことは叱ってくれたっていいけど。
過去の傷と今の思いは「=」じゃないから。このやる気を評価して欲しい。
切るな、と言われたって切ってしまう。僕の場合は。
切った後で気づくこともある。僕みたいに。
矛盾してるのは分かるけれど、遠回りしたっていいと思うよ。
不良っていう域超えてる気がしますが。
朝、読書をしていたら何か目がチカチカし始めて、
いつもはすぐ治るのにむしろ悪化してきて、
目一面、チカチカというか微生物みたいなのがウネウネ泳いでいる感じになって
(何と説明したらいいのか;)
危機を感じたので、目薬やったり、目冷やしたり、遠くみたりして
やっと治ったと思ったら今度は頭が痛くなり、
横になっていたら気持ち悪くなって、寝てやり過ごそうと試みたものも
悪化して寝ていると吐きそうになり、
起き上がったらもうそこから動けない状態に陥って
上向いたら吐くし、どこ向いても気持ち悪いし、頭ぐわんぐわんするし、
そのうち過呼吸気味になってきて、荒い息繰り返してたら寒気がしてきて
体温測ったら35.2℃という素敵な数字でした。
もう自分でも自分自身どうしようもなくて、
いつの間にか流れてた涙もびっくりするくらい冷たくて、
最初汗が滴ってきたのかと勘違いするくらい水っぽい涙でした。
しばらく、動けなくて荒い息を繰り返しながら
頭痛と吐き気と自分の弱さに泣いてたんですが
これ以上は持たないし、吐くしかないと思って
吐いたら少し吐き気が治まってそのまま眠ってしまったんですが、
起きたら今度はお腹のほうが痛くなり、下してしまいました。
少し意識が朦朧としたので水をかけて気をしっかり持てるよう注意しました。
トイレの中で倒れたら誰も気づいてくれませんからね。
今もまだ体調が悪いんですがなんとか持ち直しました。
人間って結構しぶといですよね。
母親がまた鬱に入っていたので、肩身の狭い休日でした。
いつも休日になると鬱になるんです。
いつも泣いているんです。
仕方のないことと言えば、仕方のないことなんですが。
早く自立がしたくなってきます。
自立出来ない身として、鬱状態の母親と同じ空間にいるのは辛い。
家族だから支えてあげなくてはいけない、とか
奇麗事は考えられません。
人間自分自身でいっぱいっぱいなものだと思う。
僕は自分の事で精一杯だし、考えてあげる余裕もないし、どうしてあげる財力もない。
それに結局考えたって最後に決めるのは自分なんだから、
自分のやりたいようにやればいいのに。
僕の為だからと言って泣いている母親はどうも受け入れられない。
自分の為に泣いているのに、僕のせいにしないでほしい。
この生活が嫌なら捨てればいい。
家族というものに囚われているせいで、苦しいのなら解決策を自分で考えればいい。
たとえば、離婚するとか。
なのに母親は何も動こうとしない。泣くだけで何も決めない。
それは矛盾していると思います。
だけど、人間ってそんなもんだから、
家族なんて所詮他人ですから、
騙し騙しやっていくしかないんですよね。
環境って自分で選べないものかな。
ただでさえ、人間という動物を余儀なく選択させられたのに
生きるのって不便です。